半藤一利 『荷風さんの昭和』 ちくま文庫
久しぶりに書店を覗くと、半藤一利『荷風さんの昭和』が文庫で出ていた。
第一章 この憐れむべき狂愚の世 昭和三年〜七年
と目次にある。昭和の“狂愚の世”を荷風はどう生きたのか、これからの平成の狂愚の世を生きるのに参考になるだろう、と思った。
買って、歩きながら、今の世相はまだ狂愚の世とはいえない、せいぜいが痴愚の世なのではないか、と考えた。
昭和初期の軍国主義、ファシズム、国体明徴、テロリズム、一人一殺等々は確かに“狂愚”といえる。しかしその狂(もの狂い)には心情的に共感できる部分がある。
かつての新左翼運動も狂だと思うが、心情的に共感できる部分もあった。それと同じだ。彼らの革命観は相反するが、そのための自己犠牲には通底する部分がある。根本に利他の精神がある。
どちらも結果的には害悪をもたらした部分が多い。しかし動機においては善であった。だから、人々の共感を得て、「昭和維新伝説」はこれまでも同情的に語られたし、これからも同情的に語り継がれるはずだ。
ところが昨今の橋下現象、「維新なんとか現象」には“狂”が感じられない。一身を顧みぬ“もの狂い”が感じられない。
維新をPRする連中、それにすり寄るメディアや政治家連中には利害打算、損得勘定しか見てとれない。自己犠牲どころか、他人を利用して、そして時流に乗って、いい目を見ようという欲得しか感じられない。打算づくの行動を狂とは言わないだろう。打算づくであり、しかも常軌を逸脱している。醜悪としかいいようがない。“痴愚”以外の言葉が思い浮かばない。
“狂愚の世”の前段階が“痴愚の世”で、狂愚の世にまで落ちる可能性は60パーセント・・・、などとあれこれ考えた。
第一章 この憐れむべき狂愚の世 昭和三年〜七年
と目次にある。昭和の“狂愚の世”を荷風はどう生きたのか、これからの平成の狂愚の世を生きるのに参考になるだろう、と思った。
買って、歩きながら、今の世相はまだ狂愚の世とはいえない、せいぜいが痴愚の世なのではないか、と考えた。
昭和初期の軍国主義、ファシズム、国体明徴、テロリズム、一人一殺等々は確かに“狂愚”といえる。しかしその狂(もの狂い)には心情的に共感できる部分がある。
かつての新左翼運動も狂だと思うが、心情的に共感できる部分もあった。それと同じだ。彼らの革命観は相反するが、そのための自己犠牲には通底する部分がある。根本に利他の精神がある。
どちらも結果的には害悪をもたらした部分が多い。しかし動機においては善であった。だから、人々の共感を得て、「昭和維新伝説」はこれまでも同情的に語られたし、これからも同情的に語り継がれるはずだ。
ところが昨今の橋下現象、「維新なんとか現象」には“狂”が感じられない。一身を顧みぬ“もの狂い”が感じられない。
維新をPRする連中、それにすり寄るメディアや政治家連中には利害打算、損得勘定しか見てとれない。自己犠牲どころか、他人を利用して、そして時流に乗って、いい目を見ようという欲得しか感じられない。打算づくの行動を狂とは言わないだろう。打算づくであり、しかも常軌を逸脱している。醜悪としかいいようがない。“痴愚”以外の言葉が思い浮かばない。
“狂愚の世”の前段階が“痴愚の世”で、狂愚の世にまで落ちる可能性は60パーセント・・・、などとあれこれ考えた。


